神道と神隠し

日本には神隠し、という言葉が昔からあります。

 

多くの人は急に人が消えてしまうことを神の仕業として信じてきました。山や森には神域があると考えられているのでそこに入ってしまうともう出てこれない、そんな風にも考えられていました。

 

千葉県市川市には、「八幡の藪知らず」の森があります。ここには神隠しの伝承が残っていて入り口から何か踏み込んではいけない、不思議な空気が漂っています。

 

因みにここは神隠しの伝承が強く強く残っていて、今も禁足地となっています。

 

昔は神隠しにあった子どもを近くの山へ行き名前を呼べば、戻ってくるような言い伝えもありました。

 

それにしてもこの神隠しという現象は、本当に神様の仕業だったのでしょうか?

 

今この現代から昔の状況を考えると、口減らしや何か表立って言えない事情で姿を消した人たちのことを隠すために誰かが言い出した、そんなことも考えられます。

 

ただそこにあるのは、起きてしまった悲劇を隠してしまおうという心情だけがあったわけではないでしょう。

 

いなくなってしまったあの子は、きっととてもとても可愛い子だから、神様が連れて行ってしまった。

 

本当は手元で大事に大事にしたかったけれど、神様に連れて行かれてきっとここにいるより幸せに暮らしている。

 

そんな風に思うしかない家族の悲痛な想いが、神隠しという言葉の陰には隠れているのかもしれません。

 

そして本当に理由が分からず失踪してしまった人は、神隠しにあっただけだからその内ひょっこり帰ってくるはず、と待つ人達の悲痛な願いも込められているのではと思います。

 

どうか皆さんが、大事な人を失うことがないように過ごしていけるように願います。

 

自分と周りを良くしていくことを、毎日心掛けて日々を丁寧に過ごしましょう。

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