神罰
大きな災害が起こった時、伝染病が蔓延した時、人はその理由に神罰を当てはめることがあります。
大変なことが起こった時に心の拠り所にして、自分を整え直すために必要なのも神様ですが起こったこと自体の原因も神様に委ねることが少なくありません。
この神罰には種類があって、一つは偶像崇拝の神様が下す神罰は、教祖や開祖の教えを守らなかったり背いたりして、人類が自分勝手に生きてしまった報いとして神様が下すと考えられるもの。
神がお怒りになったと皆恐れおののきます。
これは人類皆に責任があって、どちらかというと個人の後悔の念は湧きにくいものが多いのです。
あくまで怒れる神が引き起こしたことで、この神罰は自分という1人の人間としては抗えないもの、というイメージです。
一方神道のように特に偶像崇拝の対象がない場合、神罰は自分の行いが自分に返ってきた感覚に近くなります。
特に平和教では、世界が平和であるためにはまず「自分を良くすること」が根底にあります。
自分が良くないことをしたら、いずれ自分の元に返ってくる。
だから自分にとって嫌なことはしない、その繰り返しで1人が良くなり、1人の周りが良くなり、地域が良くなり、国が良くなり、世界が良くなる。
大きな流れがある前に、1人1人の流れがあるのです。
何をしても、何があってもそれは以前の自分の行動が返ってきた結果にすぎません。
この流れが心のどこかにあれば、普段の自分の行動を戒めることができますね。
神罰とは自分の中にもいる神様からの、メッセージなのかもしれません。

