神道と仏教のあの世の違い

仏教においての死は、極楽浄土で知られる通り恐れたり避けたりしないものです。

仏教にとって死は、今生から別の世界に行くための「旅立ち」であり、今の苦しみから解き放たれていくある種の憧れを持つものであります。

神道においては、死の持つ意味は全く違います。

神道では死は穢れとして避けるべきものとされています。

有名な古事記のイザナキとイザナミのお話では、愛しい妻であるイザナミは黄泉の国で忌むべき者へと変貌を遂げています。

古来の日本人にとって死者は黄泉の国、常闇国、根の国など暗黒に支配された穢れた場所であり生きている人たちの世界とは異なるものでした。

仏教のお寺にお墓が併設されているのに、神社に墓地がないのはこの神道の死に対する考え方からきているのです。

お葬式で身近な人とお別れをする時、どうか安らかに、と願う愛惜の念と、単純に亡くなった人を目の前にする恐怖とが混在したような感情になりますが、これは自然なことです。

死体から伝染病が蔓延したり、土葬の地域は特に死体に対して恐怖の感情が湧き出てくるものなのです。

奈良時代以降段々と日本人は死に対して嫌悪とか穢れの感覚を抱くよりも、死者に対する考え方を仏教寄りの考え方へと変えていきました。

それは大事な人へ先立たれ、残された人たちの心の拠り所として必要な変化だったのかもしれません。

そして未だに残る死者に対して憧れを抱かないように躊躇する神道の心が、多くの人を思い留まらせているのでしょう。

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