平和教における修行

一般的な宗教においての修行のイメージは、滝行だったり座禅を組んで後ろから喝を入れられたり、厳しく辛いものだと思います。

平和教における修行とは、何かを行うことではなく、「受ける」ことに終始します。

やり方としては神前で楽な姿勢で眼は開けておきます。

その状態で30分ほど過ごすという、簡単なものです。

指導者が神々に、修行を受ける人の力が開発されるように祈るのみなのです。

そもそも修行とは何のために行うのでしょうか。

修行を受けにくる方には、自分を整えていくための力が弱まった方たちもいらっしゃいます。

そんな辛くて辛くて堪らない状況の時に、苦行に近い修行をする力は湧いてこないでしょう。

平和教の修行は、受けることで自然と生きる活力が戻って来ます。

神様とのパイプがつながっていくことになるので運が良くなります。

そうすると体調も整っていき、心がウキウキと弾んできます。

頭の回転が良くなり、心のわだかまりがなくなっていきます。

修行をすることで、心が柔らかくしなやかに、強くなる。

生命力自体の強化にもつながっていきます。

この状態になれば、わざわざ幸せを探さなくとも自分自身が良い状態に自然となっていくのです。

辛くない無理のない修行があることを多くの人に知って頂きたいですね。