親殺しの罪
西洋の宗教などでは、神話などでは親殺しや兄弟殺しの話がよく出てきますよね。
古事記でも親殺しのエピソードがありますが、これは西洋のそれとは少し性格が異なります。
西洋の親殺しのエピソードは、悲劇の象徴のような話が多いです。
権威に対する革命や、既存の体制に対する破壊の意味が込められていたり、親殺しに至ってしまうまである意味納得してしまうような群像劇があるのです。
対して古事記に出てくる親殺しのエピソードであるカグツチは、火の神であったため母親イザナミがカグツチを出産した時に焼き殺してしまったというものです。
そのことに怒り狂った父イザナギによってカグツチは殺されてしまうという、何とも本人に何の責任もない罪を産まれながらにして背負っています。
これは実は、カグツチの前に産まれていた蛭児、素戔嗚(スサノオ)と卑とされる卑しいものたちの連続出産を止めたことにもなります。
カグツチの火の神としての役割は大きく、父に殺された時の血や死体から多くの神が誕生します。
それらが人々の生活の土台どなる蚕(布)と五穀(食)を作っていくことになります。
日本古来の神の死は、その血や体それぞれのパーツからまた新しい神々を生んでいく、次に繋ぐものになっていることが分かりますね。
死の比重が、私たちの認識とは違うようです。
また親たちの子に対する認識が、愛着を持つものではなく「生み落としたもの」に近いようにも感じます。

