座敷童

一時期オカルトブームも相まって、座敷童の存在はよくメディアでも取り上げられていました。

 

座敷童は皆さんよくご存知のように、幸せの象徴の精霊と言われています。

 

座敷童がいる家は良く栄え、座敷童が去って行くと家は途絶えてしまい、その姿を見た者には幸福が訪れる。

 

大体就学前位の小さな子どもの姿をしていることが多く、少し前に火事になってしまいましたが座敷童で有名な旅館もありましたね。

 

座敷童に対する民間信仰の内容は地域によって少しずつ違いますが、どこの地域でも彼らを丁重に扱おうという意識が見て取れます。

 

岩手県の二戸市においては、現在においても座敷童に居ついてもらおうと小さな子供部屋を用意する風習も残っています。

 

座敷童が子どもの姿をしている理由には、子どもの姿そのものが神性を表している説や、子どもの存在自体が神と人間を繋ぐものとする民間信仰が関連しているなど諸説あります。

 

そしてこの座敷童の元々の由来の裏には、口減らしや幼くして亡くなってしまった子どもたちを悼む大人たちの心から始まったのではないかという説もあります。

 

七歳までは神のうち、という言葉からも分かるように昔はこの七五三の時期を迎えるまで子どもたちが無事に大きくなることは簡単ではありませんでした。

 

まだ幼いのに亡くなってしまった我が子が幸せの象徴の座敷童として現れる、そして座敷童を大切にしない家は彼らの存在を失い衰退する。

 

そこには想像を絶する親たちの悲しみが込められていたのかもしれません。

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